歴史紀行 地域版 3 小泉八雲 記念碑
小泉八雲 記念碑
焼津は神様の町です。と口癖のように言って愛した帰化作家、小泉八雲【ラフカディオ、ハーン】の記念碑が焼津駅前にあります。
ギリシャ生まれの小泉八雲は、父がイギリス軍医だったことから、アイルランド、フランス、アメリカと転属を繰返しアメリカ在住の時に新聞記者兼筆者となり、ニューオーリンズ在住時に日本の文部省関係者と知り会ったことがきっかけとなり、日本で英語教師として教鞭をとるべく来日しました。
松江、熊本、神戸、東京と転勤するなかで、日本文化に強く惹かれ、古くから伝わる怪談や民話などを妻 セツから聞き取り、著書として執筆し、西洋へ日本文化の一端を広める大きな役割りを果たしました。
焼津へは、八雲が東京への移動の際に避暑地を探していたことが縁となり、釣りと海水浴が好きだったことから焼津の町がすっかり気に入り、また、海岸近くで魚商を営む山口乙吉の人柄に惚れ込み、夏には焼津で乙吉の家に下宿して過ごすことにします。
毎夏のように焼津にやって来る八雲に焼津の住民たちは親睦を深め、八雲も執筆も盛んにこなし、【焼津にて】【海のほとり】【漂流】【乙吉のだるま】と、これらの短編は、八雲の晩年の代表作となりました。
明治37年 狭心症を患った八雲は東京で帰らぬ人となりますが、死去する年まで焼津で夏を過ごしました。