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北海道 開道150年紀行 3 アイヌ イランカラプテ像


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アイヌ イランカラプテ像

 

 

札幌市中央区 JR札幌駅

北海道の先住民族であるアイヌ民族は、その存在は、飛鳥時代から確認されていて、おおよそ17世紀から19世紀~日本の江戸時代から明治時代において陸奥(現在の東北地方北部)から蝦夷地、蝦夷ヶ島、(現在の北海道)樺太(サハリン)、千島列島に及ぶ広い範囲の地域に先住していました。

この時期の前後には、アイヌ民族がこの隣接地域に移動したり、逆にその地域の他民族が移動し接触したことも認められております。
これら居住域はもとより、さらに広い範囲においてアイヌ語由来の地名が分布していることが実証されています。

また、アイヌの歴史に関しては、アイヌ人が文字を使わない口伝による民族だったこともあり、アイヌ人の歴史の相伝が不明確で、大正時代の言語、民俗学者金田一京助を中心とした一部の学者らの研究に頼ってきたのみで、多くの歴史資料や記録に基づく総合的なアイヌ史の編纂がなされてはきませんでした。また、日本の歴史の中で、アイヌ史の位置づけは、極めて不明確なまま扱われています。

本来 狩猟民族であるアイヌ人は、北海道をはじめとした土地で魚や獣を狩って生活の糧としていて、本州以南の和人~大和民族(多くの日本人)の様な農耕民族とは違って土地を耕して作物を実らせることを知りませんでした。

アイヌ人と、アイヌにとって渡来人である和人~(大和民族)との共存共栄は、戦国時代後期に領主となった蠣崎氏(後の松前氏)の支配以降、差別、酷使、収奪が甚だしく、ほぼ北海道全域に生活していたアイヌ人はその数を激減させていき、その差別も、北海道が開道となった1868年 明治2年以降も狩猟の禁止や強制移住など、さらにアイヌ土人と呼んで続く有り様で、差別が名実共に無くなったと言えるのは、2008年 平成20年にアイヌを日本の先住民族として認める国会決議が衆議員 参議員の全会一致で可決されたことでしょう。

写真のアイヌ 像は、イランカラプテ像と命名され、2014年にJR札幌駅南口へ抜けるコンコースにお披露目されました。その言葉はアイヌ語で【ようこそ】を意味します。