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歴史紀行 地域版 4 匠の里 西里 奈良県


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歴史紀行 地域版 4 匠の里 西里 ~奈良県

匠の里 西里
天下人を支えた大工棟梁の集落

奈良県生駒郡斑鳩町西里

法隆寺の西隣りには、築地塀の邸がいまも残ります。

この辺りの集落は西里といい、むかしは法隆寺の宮大工が住んだ集落でした。

飛鳥時代 聖徳太子により創建した法隆寺は、西里の宮大工らによって手直しを受けながら その姿を現在に残すことができました。

そして戦国時代の終わりに、豊臣秀吉法隆寺の宮大工の棟梁が召し出されました。

中井正吉

正吉は大坂城築城や、あの方広寺大仏殿を築いて名声を欲しいままにしました。

正吉の子 中井正清

秀吉に仕えた正吉に対し、
正清は、徳川家康に仕えました。

若くして家康に仕えた正清ですが、父 正吉のように名声を上げたのは、家康が天下取りに動き出してからでした。

家康が関ヶ原に勝利して地位と実力を不動のものとし、征夷大将軍に任じられ、京の二条城築城を正清に命じました。

徳川家康の将軍拝賀の礼から始まった江戸幕府は二条城築城より始まったといえるでしょう。

この功績より、正清は従五位下に叙され、大和守となります。

徳川家の大工頭として活躍する正清は、その後も徳川家とゆかりの深い知恩院増上寺に加え、江戸城の増築、さらには家康の隠居城となる駿府城。家康の廟所となる東照宮の創建と、徳川家の威風を体現する役割りを担いました。

いまも名刹 法隆寺の西隣りの集落は、静かに昔の面影を残します。