歴史紀行 15 - 1 叡福寺 1 太子廟
叡福寺 参道
太子廟
叡福寺 太子廟
叡福寺の創建は、西暦620年 推古天皇28年、聖徳太子が民情視察を兼ねて愛馬 黒駒で駆けていたところ、磯長(しなが)の地を気に入り、自らの墓所とすることを決めたことから始まります。
翌年の621年、太子の生母、穴穂部間人皇后が病に倒れます。太子と正室 膳部苔岐々美郎女(かしわでのほききみのいつらめ)の必死の看病も実らず帰らぬ人となり、磯長の地に埋葬されて円墳が築かれました。
年が明けて622年、 続いて太子と妃も病を発症して倒れました。 2月21日、妃が亡くなり、翌日 2月22日には太子自身も帰らぬ人となりました。余りに早い病の発症から伝染病かと思われます。
太子が生前に墓所と決め、母が葬られた磯長の円墳に太子と妃も共に埋葬されます。
ひとつの円墳に三者が共に埋葬されたことになり、推古天皇は、太子の霊をなぐさめるべく、墓守を配し、坊堂を建立して香華寺としたのが始まりとされています。