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歴史好きで、各地の史跡を訪ねる紀行ブログ

北海道地名由来史 6 厚真町 安平町


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厚真町カントリーサイン

 

今回発生した平成30年北海道胆振東部地震震源地となってしまった厚真町は、古くからアイヌ人の集落があって豪商ら和人もまたアイヌ人と交易した記録が残ります。

 

江戸時代後期の1799年 寬政11年に道内全域の支配をしていた松前藩から幕府が召し上げ、北海道(蝦夷地)は幕府直轄領として支配することにします。

 

この厚真町も本格的に開拓の鍬が入れられたのは明治時代になってからで、開拓使が新政府により設置された1870年 明治3年、新潟県からの移住者が入植したのが始まりです。

 

厚真町の由来は、アイヌ語のアットマム~向こうの湿地帯~に由来すると言われます。

 

 


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安平町カントリーサイン

 

安平町~あびら ちょう~

 

安平町は胆振の中核都市、苫小牧市と厚真町の真ん中にある農業の盛んな町で、明治33年に苫小牧市から安平村として分村しました。

 

それから約半世紀を経て安平村は内陸部の地区を追分村として分村、追分は石炭採掘で賑わう夕張市の鉄道 夕張線の分岐点となり、鉄道の町として知られます。

 

一方の安平村。

間もなく村名を早来町と改名します。

早来は、アイヌ語で~サク、ルベシベ~【夏を越える沢道】和釈で夏を越えるをとり、

早来~【さっくる】としました。

 

しかし、この宛字を誰も【さっくる】とは読まず、【はやきた】と読んでしまい、

結果~早来【はやきた】と決まりました。

 

時代は平成となり、平成の大合併の動きが早来と追分にも訪れます。

 

当初は胆振東部の周辺町村の大合併が協議されますが、様々な事情から頓挫します。

たた、早来と追分は、元々ひとつの村だったじゃないか。ということになり二町同士で話は進み、いざ、町名はどうしようか?

ということになり、それじゃあ安平でいいじゃないか。と話はすんなり決まりました。

 

分村と合併を繰り返した安平町の由来は、~アラ、ピラ、ペッ~アイヌ語で一面、崖の川を意味するといわれます。